瑞龍寺 大阪 はじめは薬師堂であったが、寛文10年(1670年)僧鉄眼道光が再興して瑞龍寺と改称、大坂での黄檗布教の拠点になり、俗に鉄眼寺と呼ばれる。 鉄眼は隠元に心服し、師・木庵より授かった経典6,957巻から印刷を決心。一切経の版木の費用を日本全国を巡り托鉢。折からの堀江西一帯の大洪水に集めた募財を被害者救済に使った。